卑怯を教えよう

AKB48の握手会でメンバー2名と関係者が襲われた。20歳前後の無防備な女性を、刃物を持った24歳の青年が「誰でもよかった」という理由(?)で切り付けた。幸いにして命に別状はないものの、何と恥ずかしい行為をしたのか。

秋元某なる軽薄な男が、物知らぬ少女たちを食い物にして、あらゆる手段で金儲けを行っている。アイドルにあこがれる少女たちは、言われるままに歌い踊り、そして全国を周らされる。

CDが売れない時代に、それを売るために握手会などの参加券とした。今までならCDを買ってくれた人に対するお礼を込めて、握手会やサイン会を行って接するイベントが本来の形ではなかったか。それを握手がしたければCDを買うように仕向けた。CDを買った側は「当然の権利」として握手をしにやってくる。あこがれの少女たちが微笑んで迎えてくれる。まさに手が届く位置で、肌と肌を触れ合う機会ができる。警備などしようがない。

無防備な少女たちを切り付けるような馬鹿を、助長しているのは社会だろう。今の日本では「恥」を教えない。いじめなど力の弱いものを苛めても、それが悪い事だと言う思いにすら至らない。教師や教育委員会がいじめに対して正しい態度を取らないことが、いじめた側の生徒をかばう形になり、罰も与えないことが罪を感じない要因になっている。

いつからか日本では道徳教育が無くなった。今ではそれを口にすると非難されたりする。人の道、正しい行いを教えて何が悪い。年下や力の無い人、身体などに障害がある人などを、苛めたり貶したりすることが、人として如何に恥ずかしい事なのかを教えなくてはいけない。

無防備なものを襲うなど卑怯者のすることだ。卑怯とは最も恥ずかしい事で、人から後ろ指を指されることなのだ。理屈ではなく、いけないことはいけないのだ。

社会は卑怯者を蔑まなければいけない。恥ずかしい奴だと言わなければいけない。警察任せにしてはいけない。司法には司法の役割があるが、社会にも社会の役割があるはずだ。それをしなくなった社会は卑怯者をのさばらせる。

加害者ばかりが守られてはいないか?被害者は可哀想だったで終わりか?加害者の人権を主張する前に、被害者の人権を尊重しなくて何の人権か。

剣道・柔道・空手などをスポーツにしてはいけない。これらは人の道を教える武道なのだ。人を作ることを第一とし、そして技が磨かれていく。その精神を教えなければならない。形だけを教えても意味がない。

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